
とんでもない作品を見てしまった……。見終わった直後の今、劇場の椅子から立ち上がれないほど震えています。
間違いなく、日本映画の最高峰が出来てしまいました。この高揚感、言葉にするのがもどかしいほど凄まじいです!!!
吉沢亮、横浜流星。二人の役者人生における、決定的な「代表作」になりました。
特に、立花喜久雄を演じた吉沢亮。
「演技力が高い」なんて言葉じゃ軽すぎる。あれは演技じゃない。
文字通り「命を燃やしている」姿そのものでした。
■「芸」以外は、すべて捨てろ。残酷なまでの美学。
映画『国宝』が冒頭から突きつけてくるメッセージは、あまりに残酷で、だからこそ美しい。
「芸の道を極めるには、それ以外を犠牲にしなければならない」
物語の主人公は、任侠の一門に生まれた立花喜久雄(吉沢亮)。
抗争で父を亡くし、天涯孤独の身となった彼を拾ったのは、上方歌舞伎の名門・花井家の当主、花井半二郎(渡辺謙)でした。
その美貌と才能を見出された彼は、血生臭い世界から一転、伝統と格式の塊である「歌舞伎」の世界へと足を踏み入れます。
梨園の名門に、どこの馬の骨とも知れぬ「よそ者」が飛び込む。それがどれだけの修羅場か、想像できますか?
まさに人生の「ハードモード」確定です!!!そこにあるのは、単なるサクセスストーリーではありません。
芸という魔物に魅入られた人間が、人間としての幸せを一つ、また一つと手放していく「喪失と再生」の物語でした。
■「持たざる者」と「持つ者」。呼吸を忘れる対比。
喜久雄は、半二郎の息子である大垣俊介(横浜流星)と兄弟のように育てられます。
- 大垣俊介(横浜流星): 血筋と伝統という重圧を背負う、努力の御曹司
- 立花喜久雄(吉沢亮): よそ者ながら、天性の華で観客を狂わせる怪物
この二人の対比。本当によく描かれていて、見ているこちらの胸が締め付けられました。
めきめきと頭角を現し、女形としてスターダムを駆け上がる喜久雄。その成長速度は、もはや恐怖すら感じるレベル。
そして何より、吉沢亮が美しすぎる!!!!
「一体どれほどの時間を捧げたら、その所作になるんだ……」
呆然とするほどの美しさ。指先の動き一つ、視線の流し方一つに、色気と狂気が宿っているんです。気になってあとで調べてみたら、なんと撮影の1年半前から歌舞伎の稽古をしていたとのこと。
「すり足」だけの練習で3ヶ月〜4ヶ月。その事実に戦慄しました。えぐい。本気度の次元が違います。
■ネットの反応に見る「3つの凄み」
自分の主観だけでは熱すぎて伝わりづらいかもしれないので、ネット上の評価も拾ってみました。
① 横浜流星の「人間臭さ」が刺さる
喜久雄が輝けば輝くほど、俊介の「嫉妬・憎しみ・絶望・プレッシャー・焦り・失望」が濃くなる。
天才の隣にいる凡人の苦しみ。これは私たち観客にとっても他人事ではありません。
② 「豪華絢爛」と「血生臭さ」のギャップ
「歌舞伎シーンの豪華さと、任侠の世界の血生臭さの対比がすごい」
歌舞伎の舞台裏のドロドロとした暗部をこれでもかと描くからこそ、舞台上の光がより鮮烈に輝く。
泥臭い芝居と、洗練された舞。この「落差」こそが、本作の麻薬的な魅力です。
③ 圧倒的な「稽古量」が透けて見える
「所作や舞が本物の歌舞伎役者のよう。どれだけ稽古したのか想像するだけで泣ける」
これは本当に……! 舞台上の演技に「演じている感」が全くない。
違和感がないということは、それだけ血の滲むような鍛錬があった証拠です。
■心臓を掴まれたセリフたち
特に、脳裏に焼き付いて離れない言葉があります。
「化けもんになれ。
人でなしと言われてこそ、役者は本物や」
人としての幸せを捨てなければ、到達できない高みがある。
常識の枠に収まっているうちは、国宝にはなれないのです。
「……ええ景色や」
(※ここだけは少しネタバレになりますが)
全てを失った喜久雄が、芸の頂点(国宝)に立ち、その果てに見た景色。
これは映画史に残る名シーンだと思います。
■最後に:これは「体験」する映画です。
最高の映画体験でした。
ここまで読んでくれてありがとうございます!












